〜娘の受験〜 2011.2.11 |
昨年(’10)の10月に娘からの突然の「お母さんやっぱり受験したい」の一言から始まった、ドタバタ駆け足の手探り受験準備に
てんてこ舞いの4カ月でした。 この1〜2年というのは、いろんな事が起こり自分の事に精一杯で、娘の事は後まわしという日々が続いていました。 娘が6年生になった頃、「受験しなくていいの?」と聞いた事がありました。 その時は「しない。友達と遊ぶ方が楽しいから」と答えていました。 後でその時の事を聞いてみると、 「したいって言えなかった。だけど、お利口にしてて、学校の勉強をしっかり頑張っていれば、もしかしたら受けられる事になるかもと思って、頑張っていたよ」 という事でした。 子どもは、いろんな事をしっかり考えているのですね。 ただそれを伝える術を持っていないだけです。 大人は、心して子どもが心の内を話せるような、 「場」や「絆」を作っていかなければ、 ならないと強く思いました。 そしてそれは、“待つ”という事なのだと思います。 子どもが話しかけてきたら「分かった、分かった」と話を遮ったり、 「ちょっと待って」と待たせている事を忘れてしまうような軽々しい返事をする事無く、 じっくりと最後の最後まで聞いてあげ、 いつでもあなたの話を聞く準備がある、 という姿勢を常に見せておかなくては、と反省を込めて強く思いました。 慌ただしく過ごしていた、小学生最後の夏休みのある日、娘から 「今までお母さんは、100%自分に目を向けてくれていたけれど、この頃は、30%くらいしか自分を見てくれていないね」 と言われました。 その口調は、非難と言うのではなく、(お母さんの大変さはよく分かっているよ)という様な、諦めにも似た、穏やかなものでした。 それでもやはり、100%見てやれる事無く、日々を過ごしていた時の冒頭の言葉でした。 受験一色になったのは、1月に入ってからの3週間ほどでした。 それまでは今まで通り、3つの習い事も続け、学校の行事にも力一杯参加していました。 やっと本人から、12月から2つの習い事を休み、1月からはこれだけは休まないと言っていた最後の1つも休むと決めて、 勉強に打ち込むようになった娘の姿は、頼もしくもあり、 ひたむきな姿は、愛おしくさえありました。 やはり、自分で決めるということは、その後の過程で、 とても大きな意味を持つのだと思いました。 助言はしましたが、本人が決めるまでは待ちました。 本当は、そんな暇などない程の遅いスタートです。 新幹線…イエ、ジェット機程のスピードで、勉強を詰め込みたいのが本心です。 初めて受けた模試の結果は、さんたんたるもの… 希望する中学校の合格率は、10%…。 あせる私に娘は解説文を読みながら、「10%…このランクの者は 10人中1〜2人が合格する確率とある。お母さん私は、 この1〜2人になるよう頑張るよ!」と…諦める事無く 毎日分厚い参考書と格闘していました。 私がした事は、娘の隣に座って、一緒に同じ時間勉強した事です。 娘と2人で勉強する時間がとてもとても楽しく感じました。 娘に「え〜勉強嫌い〜」と言われるのを覚悟で、 「勉強するのすっごく楽しいね!」と声をかけると、目を輝かせながら、 「うん、すっごく楽しい。受験が終わったら勉強ぜ〜んぜんしないで、 今まで我慢してた、本ばっかり読んでいようと思ったけど、 受験終わっても勉強続ける!」と言うではないですか…。 これだけでも、大満足の受験体験でした。 たった3〜4カ月の事だったから言えるのかもしれませんが、 本当に楽しく濃密な受験体験でした。 娘にとっては、これら全ての事(この間に学んで身についた事、我慢するという事、出来なかった問題が出来るようになった時の喜び等)が これからの人生できっと役立つと信じています。 娘の為に惜しみなく協力して下さった方々に 感謝の気持ちを込めて、本当にありがとうございました。 E記 |
便風とは |
「びんぷう」と読みます。 意味は、「(1)追い風。順風。(2)便り。手紙。音信」を表します。 大辞林(国語辞典) |