親愛なる君へ~  2007.12.4
今年私の同級生が三人、恩師・知人が相次いで亡くなり悲嘆の涙にくれた一年でありました。
その一人は中学時代からの親友のご主人Sさんでした。
数年前一人娘さんがイタリア人と結婚。イタリアに住む娘夫婦を今年彼等が訪ねて楽しい再会を終えて帰国する筈の前日の夜に、突然の心臓発作で亡くなられました。
突然のご主人の死を友人は今もなかなか受け入れられずに苦しむ様子にかける言葉もなくただ気持ちを共に分かち合うことしか出来ません。
そんな中で娘さんのイタリア人の義父、Gさんの言葉はどんなに励ましになったか分かりません。
きっと皆さんの周りでも大切な方が亡くなられたことでしょう。
最近しばらく便風がご無沙汰してしまったお詫びと共に
以下にGさんからの弔辞を紹介します。

淳子記


----Gからの手紙

今は早朝5時半、日の昇る時間。今私は書斎に座り、大きく開いた窓からは、私の頭をめぐる沢山の思いのように続く丘々と空が見える。
庭の木の上で鳥たちが今日も新しい一日、新しい生命の始まりを歌っている。

今日、目の前の机の上、キーボード近くのマウスパットに印刷された写真を眺めている。
3年前、結婚式のためイタリアに来た時に、庭のテーブルを囲んで皆で撮った写真だ。
私の前に写っているSさん、幸せそうに笑っているね。
親愛なる友、兄弟よ、私達の息子と娘が培った愛によって、私達も結ばれているんだ。
私は君の隣に座り、その隣にこの写真を撮った息子のイスがある。
この笑顔と幸せの時間を不滅のものにしたこの写真。この穏やかな時間のイメージは私と妻の心に永遠に残るだろうと思う。
毎朝あのマウスパットの写真に挨拶する。
私の信じる新しい春の世界で、私達を笑顔で待つ君に。
私達は沢山の言葉を交わしたわけではない。
言語の壁によって、うまく表現できないことを抱擁しながら伝えていた。
目は口ほどに物を言うと言うが、兄弟同志の心からの抱擁も同じだろう。
心といえば心臓。心臓の働きが止まる“正当な”タイミングなど存在しない。
私達にそれを知る事はできないのだ。

私と息子の腕の中でいなくなった時、本当に一瞬だった。
でも、永遠の時が流れたようだった。
大好きな友、Sさん、君は私達を置いて去ったわけではない。
今、私がここで書いているそばでも魂が宙をとんでいるのを感じる。
今は君のことを想い、寂しいけれど、いつか永遠の世界でまた肩を組みながら、幸せに、笑いの中でワインを飲み交わすことができると信じている。
その時また一緒に乾杯しよう。

ミスター乾杯 Sさんへ

Gより




便風とは
「びんぷう」と読みます。
意味は、「(1)追い風。順風。(2)便り。手紙。音信」を表します。
大辞林(国語辞典)