死を生きること~  2006.11.23
中学からの親友が癌になって、驚くことにそれから私の周りの人たちが次々と癌の宣告をされています。
ついこの間までは本人に告知するのは余程の場合で、病名はほとんど隠されていました。

25年前に亡くなった父が、肺がんを発見された時はもう手術出来ない状態で、それを知ってどんなに辛かったか・・・
そして本人に癌と隠すことは、それ以上に辛く悲しい闘病を父に送らせてしまった--と今でも胸がえぐられそうになります。
確かにどんなに親しくても病を受け入れる手助けはできないとこの頃感じます。
ただ本人が悟ってそのこと(死)を口にして自分の終焉を意識した時初めて手を貸すことは出来るかもしれません。

最近友人の父上がご高齢で亡くなりました。
手術は行わずなるべく自宅療養をされて 葬儀は身内だけでという遺言通り、本当に家族だけで済ませ、文字通り大往生でした。
残されたご家族もご本人の遺志を尊重され、周囲の人々もそれに従い 亡くなって尚、残していかれたものの大きさに心が震えました。

その後我が家でこれからの幕の引き方について話す機会も出来、舅、姑たちと話して以来 家族の覚悟が出来ました。こればかりは歳の順とは限りませんものね。
病は生き方そのものが出る--とよく言われます。
これからの時代、老人が増えていくことは確実です。
若い人たちに何か残せる生き方をしていきたいと考えようと思っています。

今回はちょっと重いテーマでした。


淳子記


便風とは
「びんぷう」と読みます。
意味は、「(1)追い風。順風。(2)便り。手紙。音信」を表します。
大辞林(国語辞典)